「世界標準」で戦う――コマツ海外進出企業に学ぶこれからの戦い方(1/2 ページ)

連結売上高1兆9817億円(2012年3月期)の80%以上を海外売上が占めるコマツ。日本企業の中でもグローバル化の優等生と言われるこの企業は、どのようにして現在の企業体を作り、また進化させようとしているのだろうか?

» 2012年05月28日 08時00分 公開
[井上浩二(シンスター),ITmedia]

 5月7日のビジネスイノベーターの群像でコマツの野路社長のインタビュー記事が掲載された。この記事では、現在の革新を支えているのは「現場力」と書かれている。確かにそうなのだろう。しかし、いわゆる「ダントツ商品」を生みだすこの現場力はどのようにして生み出されているのであろうか? 筆者なりの考察を加えて、海外進出に取り組む企業の参考となるポイントを考えてみたい。

 コマツの現場力の原点が作られたのは、1960年代にまでさかのぼる。戦後、コマツは日本の復興需要の波に乗り成長を遂げたが、日本市場が開放されキャタピラーが進出してくることになった。当時、キャタピラーの製品に対して性能・品質面で大きく劣るコマツは、3年で破綻するとまでいわれたようである。

 そこで、コマツはキャタピラーに対抗できる製品を作るために全社一丸となったQC活動を徹底的に行い、1964年にはデミング賞を獲得するまでに品質を高めた。その結果、コマツはキャタピラー進出後も日本市場でのシェア60%(キャタピラー:30%)を握ることができたのだが、ここで大事なポイントはコマツがこの時からグローバルNO.1企業であるキャタピラーを直接の競合と位置付けたことである。当時は自社の死活問題であったわけだが、常にキャタピラーをベンチマーク企業としてさまざまな取り組みを行ったことが、現在のコマツを作り上げる一つの軸となっていると思われる。

 1970年代に入って日本の建機市場が飽和状態になると、コマツは早くもグローバル化に取り組むことになる。当時は米ソ冷戦下という環境にあったため、キャタピラーが進出することができなかった旧ソ連、中国市場に製品を輸出してコマツはビジネスを広げた。そして、これを足場に西欧にビジネスを拡大していった。

 1980年代に円高が進むと、当然のことながら輸出では価格的に競争力が落ちる。そこで、米国、イギリスに拠点を作り、現地生産・販売を強化していった。また、製品面でもキャタピラーとの差異化を図るため、例えば建機の電子制御技術は1960年代から取り組んでいる。この取り組みは、現在では大変有名になった「KOMTRAX(コムトラックス:GPSを利用した建機の遠隔管理システム)」につながるのだが、これを実現するためのコマツの手法も興味深い。

 コマツは、GPSを使って建機の状況管理や位置確認を行うソフトを開発していた米国のモジューラマイニングシステムズ社に1995年に資本参加する。米国では、GPSのビジネスへの活用が既に1990年代半ばから始まっていたわけだが、この技術をいち早く取り込むために買収という手法をコマツはとったのである。提携や買収により自社の付加価値を高める手法は、今や日本企業でも当たり前になっているが、この時代から行っていたのである。

 これら一連のコマツの活動は、当然のことながら常にキャタピラーとの競争が意識されている。グローバルレベルでの競合企業をベンチマークすることにより、自社がどのような取り組みをすべきかを常に具体的に考えるコマツの手法は、海外進出に取り組んでいる企業にとって大いに参考になるのではないだろうか。

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