25日に94歳で亡くなったスズキの元社長で相談役の鈴木修氏は、経験に基づく“勘”を大切にする名経営者としても知られていた。その勘の鋭さで、経営改革やヒット商品の誕生につなげたという逸話は有名で、コンピューターならぬ「鈴木修の“勘”ピューター」と称賛された。
25日に94歳で亡くなったスズキの元社長で相談役の鈴木修氏は、経験に基づく“勘”を大切にする名経営者としても知られていた。その勘の鋭さで、経営改革やヒット商品の誕生につなげたという逸話は有名で、コンピューターならぬ「鈴木修の“勘”ピューター」と称賛された。
社会主義の政治体制が強く、外資参入が厳しい1980年代のインドに日本の自動車メーカーとして初めて進出し、成功を収めたのも“勘”が後押しした。
1981年に国民車構想を計画していたインドの調査団が提携先を探して来日した際、当時、社長だった修氏は「直接、調査団と話すべきだ」と勘が働いたという。その後、インドが最終的にスズキを選んだ理由を、「トップが直接向かい合って話を真剣に聞いてくれたのはスズキだけだった」と明かしている。
今やインドは国内外の競合他社がひしめく巨大市場となったが、スズキは現地でいまだに5割近いシェアを維持し続けている。
スズキが軽自動車業界の盟主に押し上げるきっかけとなった初代「アルト」は、当初は軽自動車として開発は進められていなかった。それを社員の多くが軽トラックで通勤している光景をみて“勘が働き”、鈴木氏が開発方針を「軽く、コストの安い車」へと変更したという。
また、アルトの名前の由来は、イタリア語の「秀でた」という意味だった。これを鈴木氏は発表会見で「あるときはレジャーに、あるときは通勤に、またあるときは買い物に使える、“あると”便利なくるま」とアドリブで説明。一連の鈴木氏のひらめきがアルトのヒットにつながったとみる向きもある。
修氏の“勘”で名前が変更された軽自動車もある。
それが、ミニバンブームの起爆剤となった1993年発売の「ワゴンR」だ。もともとは「ジップ」という名前で開発が進んでいたが、納得のいかなかった鈴木氏は、ここでも勘ピューターを起動。「スズキにはセダンもあるけどワゴンもある。ワゴンあーる(R)でいいじゃないか」と思いつき、「ワゴンR」へと舵を切った。この逸話も、勘ピューターを象徴するエピソードとして知られている。
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