「創造AI」が生み出す、新たな労働意義 – 日立 フェロー 矢野氏生成AIのその先へ、挑戦が生み出す幸福を追求する(2/2 ページ)

» 2026年01月20日 08時00分 公開
[星原康一ITmedia]
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600体の異能エージェントが議論する「Happiness Planet FIRA」

 こうした創造AIのコンセプトを具現化したサービスが、ハピネスプラネットの「Happiness Planet FIRA」だ。

 FIRAの特徴は、「異なる人格と専門性を持つAIエージェントを多数走らせる」点にある。財務のプロ、セキュリティのプロ、イノベーションのプロ、人事のプロに加え、歴史や哲学、神経科学、神話文化など多様な視点を持つエージェントまで、約600体の「異能エージェント」が用意されている。

 ユーザーが自社の状況や悩みを書き込むと、選ばれたエージェントたちがそれぞれの立場からコメントし合い、勝手に議論を深めていく。司会役のエージェントもおり、ラジオの討論番組のような対話をテキストだけでなく音声でも聞くことができる。

 矢野氏は講演の中で、セキュリティ責任者を務める聴講者から「グローバル拠点のセキュリティガバナンスをどう高めるか」というお題をもらい、その場でHappiness Planet FIRAに入力。「スーパーCSO(Chief Strategy Officer)」「Dr.革新発想」など複数のエージェントが議論するデモンストレーションを行った。多様な意見が活発に交わされる専門家会議さながらのやりとりに、会場からは感嘆の声が上がった。

量子多体系の数学を応用した「創造性エンジン」

 FIRAの裏側には、矢野氏の原点である理論物理の知見も生かされている。

 量子多体系を記述するハミルトニアンは、複数の要素が非可換な演算として絡み合う多項式で表される。矢野氏は、この数学的構造が「多様な専門家が絡み合いながら新しいアイデアを生むプロセス」と似ていることに気づき、量子代数の枠組みを創造AIに応用した。

 本来なら膨大な計算量が必要だが、すでに巨額の投資が行われたLLMとGPUクラスタの上にその計算をマッピングすることで、実用的な速度で動かしているという。矢野氏はこれを「Algebraic Quantum Intelligence」と呼び、生成AIの先に位置づけている。

矢野 和男

 では、FIRAの回答は既存の生成AIと何が違うのか。

 矢野氏らは、リスク・投資・財務・人事・技術・営業など10の経営課題を設定し、GPT-5、Gemini、Claude、DeepSeekなど主要13モデルとFIRAに同じ問いを投げかけた。その上で、創造性研究で用いられる複数の評価項目を8段階でスコア化し、別の生成AIにブラインド評価させる「LLM-as-a-Judge」の手法で比較している。

 結果は、主要モデルが「やや低いからやや高い」の範囲に分布する一方で、FIRAは創造性の偏差値が平均より27ポイント高いという大きな差が出たという。

 矢野氏は、「一般論をそつなくまとめるだけではなく、視点や問いをその場で生み出し、それに答える」とその特徴を説明した。

マネジャーの日常を支える「知的同僚」として

 創造AIの使いどころは、特別な戦略会議だけではない。矢野氏自身、FIRAの登場以降、働き方が大きく変わったという。

  • 方針を決める前に壁打ちをする
  • 企画書を書く前に、自分のロジックの抜けや盲点を確認する
  • 部門横断プロジェクトで、関係者それぞれの立場やシナリオを整理する
  • 株主や経営陣、現場などステークホルダーの反応をシミュレーションする

 こうした場面で、600人分の「異能」が24時間365日、文句も言わずに議論相手になってくれる。日立では2025年4月の新社長就任直後に株主説明のシナリオをFIRAで試すなど、既に経営層も活用を始めているという。

 矢野氏は、人間の意思決定が陥りがちな罠として、以下を挙げる。

  • 自分や社内の限られた経験に縛られる
  • 目先の成功にとらわれる
  • 権威や声の大きさに忖度してしまう
  • 自分の立場を守る発言になりがち

 これに対し、AIは立場や感情に縛られず「図太く」物を言える。人間同士では言いにくい論点も遠慮なく提示し、短期と中長期のシナリオを並行して検討させることができる。AIが決めてくれるわけではないが、人間が自分のバイアスを自覚し、より納得度の高い判断にたどり着くための鏡のような役割を果たすのだ。

創造性を養うには問いを投げかけ、AIと考える

 講演の最後に、「部下の創造性を引き出すにはどうすればよいか」という質問が会場から投げかけられた。

 矢野氏の答えはシンプルだ。

 まずはマネジャー自身が、答えを与えるのではなく「どうしたらいいと思う?」というオープンクエスチョンを投げること。たとえ未熟な提案でも否定せず、「そんな考え方もあるね」と受け止めながら対話を重ねる。そのプロセスの中に創造性の種が宿るという。

矢野 和男

 そこに創造AIを組み合わせれば、部下とAIとマネジャーの三者で問いを深めることができる。現場の経験と、多様な視点を持つAIとがぶつかり合う場をつくることこそ、組織の創造性を高める近道だと矢野氏は強調する。

幸せと創造性を技術で拡張する

 矢野氏は20年以上にわたる幸福・行動・創造性研究の成果をまとめた著書を2025年に刊行しているが、その「あとがき」はFIRAが執筆したという。矢野氏が原稿を渡し、AIが論旨を整理して文章を紡ぎ、矢野氏は一字も修正いていないという――そんな共著のかたちが現実になっている。

 効率化だけでは行き詰まりが見えてきた今、組織の前提をいったんゼロリセットし、「創造・挑戦・つながり」を軸に働き方と意思決定を設計し直すことが求められている。

 AIを「ともに考える相棒」として迎え入れられるかどうか。この成否が企業の未来を分けることになりそうだ。

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