日本にはお金も市場も資源もなかった。資金と市場は海外に求めた。少ない資源で同機能の商品開発のために半導体を開発、改良。そこから小さくて消費エネルギーが少ない“世界最小”が次々生まれた。
晩年盛田昭夫氏は、米国の投資家や大企業のトップに、ソニーは500ドルの資本金で始めたのだと自慢げに語っていました。正確には、当時の円換算率で、527ドルです。海外旅行のポケットマネー程度の資金で、ここまで事業を拡大しました。小さく生んで大きく育てる。ソニーに投資しておけば、大儲けになるよ、といいたかったわけです。
しかし、事業を始めた当初20人の技術集団は、たちまち資金不足に陥りました。
金銭にまったく無頓着な井深大氏が技術開発の責任者で、無計画にお金を使うので、その相棒の盛田氏(とその奥様)が、実家、親類縁者、知人の間を走り回って、資金を集めました。当時、銭形平次捕物帖で大当たりの野村湖堂さんが、ソニーの株式を大量に買ってくれたのは、有名な話です。
米国でセールスのお供をしていたとき、ある街角のテラスで一緒にコーヒーを飲みながら、盛田氏がこう言いました。「郡山君、米国の大きな市に行くとどこでも、一番きれいなビルは保険会社だな。ソニーも保険会社をもちたいな。そしてニューヨークのミッドタウンに、きれいな自社ビルを持つのが夢だよ」
会社創立時、お金に本当に苦労した盛田氏は、商品輸出の指揮を取るのと併行して、日本の会社として戦後最初に海外市場で株式を売り出し、世界中でお金を集めることに奔走しました。終戦直後廃墟と化した日本には、お金もなく、市場もありません。お金のあるところで稼ごう、そこで、お金を集める方法を考えよう。これは、盛田氏のグローバリゼーション実行の第一歩です。
目先の市場、日本向けに開発した商品は電気座布団、木製電気釜とも見事に失敗。録音機に着目し、苦心してテープと機械を完成させ、テープレコーダーとして、売り出したのが、商品の成功の第一号です。学校や裁判所でも使われ、放送局用の開発にも成功して、当時流行の街頭録音にも使われました。現在ソニーの放送用器材は世界中で使われ、圧倒的市場占有率を誇っています。
ただ、井深、盛田両氏のより強い関心は、一般の人々が使える商品でした。日本には、貧しい人々と貧しい企業があるにすぎない。世界には、お金持ちが何十倍もいる。そこを狙って商品開発をすれば、世界中のお金を集めることができる。それが、会社の事業目的である日本再建に最もかなうのではないか。それが2人の思想です。
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早稲田大学商学学術院教授
早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授
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明治学院大学 経済学部准教授