人材を育成のために国際規格ISOの取得にチャレンジ。取得に賛同できない多くの社員が会社を去ったが、会社の変革はここから始まった。
石坂産業株式会社は、埼玉県入間郡にある産業廃棄物処理を業にする会社だ。業界に大きなインパクトを与えるほどの施策を行い、10年かけて会社の根本的なイノベーションを成功させた。設備の先行投資と社員教育の両面からのアプローチを成功へ導いた2代目社長の石坂典子氏。社会からの逆風にも負けない強い意志を支えるものとはいったい何なのだろうか。
中土井:石坂産業株式会社は産業廃棄物の中間処理事業をされているそうですが、具体的にはどのようなことをされているのですか?
石坂:産業廃棄物を受け入れて、縮減したり、リサイクルにまわす仕事をしています。埋め立てる廃棄物の容積を極限まで小さくするビジネスです。石坂産業株式会社は私の父が創業した会社です。現在は父の跡を継いで、娘の私が社長を務めています。
中土井:社長となって、会社を継ごうと決心したきっかけは何ですか?
石坂:父の想いを実現させたいということに尽きます。1999年、所沢でダイオキシンが検出されたという報道がされたことを覚えている方も多いと思います。所沢の野菜は売れなくなり、農家の人たちが私たちの会社を相手に、裁判所へ訴えを起こしました。その後、裁判問題は4年も続くことになります。ダイオキシンが出たのは、廃棄物処理会社のせいなんじゃないかと社会の目が私たちの会社に向きました。結局は誤報だったのですが、社会から猛烈なバッシングを受けることになり、裁判をしている会社とは取引をしたくないという会社も出てきて、信頼は地に落ちてしまいました。
父に会社の将来について尋ねたのは、そんなダイオキシン問題のさなかです。父の答えは、「子どもたちに会社を継いでほしい」というものでした。その言葉を聞いて、私がやるしかないと思い、その場で「社長をやらせてほしい」と申し出ました。
その頃は会社で受付事務や営業サポート事務のサポートを10年ほどしていました。他の兄弟は会社を手伝っていなかったので、必然的に私が跡を継ぐしかないと思いました。人がいらないものとして捨てたごみを集めてリサイクルしたり、減量化する仕事なんて普通はやりたくないはずです。父は世の中のためにそんな仕事を、一生懸命してきました。会社に入って、そんな父の姿を見ていて、社会になくてはならないすばらしい仕事だという想いが生まれました。
中土井:お父様の言葉がそれほどまでに石坂さんを駆り立てたのはどうしてなのですか?
石坂:私の生活は、幼い頃からこの会社とともにありました。父は貧しい家庭に生まれ、中学を出て働いていたそうです。タクシー運転手や、長距離ドライバーなどさまざまな仕事をしていました。結婚して子どもが生まれるということで、お金を貯めてダンプカーを1台買い、今の仕事を始めたそうです。私が小学生の頃までは、従業員の人たちと一緒に暮らしていて、私はみんなにかわいがられて育ちました。一緒に働いて、一緒にごはんを食べる生活です。彼らのおかげで、今まで生活することができたという思いが強いです。
中土井:業界に対する社会からの目は厳しいものがあるのではと想像します。その業界の現状を変えたいという想いを持っているからこそ、社長になってからの苦労も大きかったのではないでしょうか。
石坂:廃棄物を扱っているというイメージだけで、社会から迷惑産業だと思われてしまうのが私たちの業界です。豊かな生活を望み、きれいなビル、商業施設を作ると、必ず産業廃棄物が出ます。六本木ヒルズ、ヒカリエ、虎ノ門ヒルズはみんなが素敵だといって注目が集まり、人がたくさん来ますが、それらを作るために出た廃棄物に関しては無関心。社会のために必要な仕事なのに、迷惑産業だと言われる始末です。
「3代、4代続く会社にしたい」という父の願いをかなえるには、業界を変える必要があります。そのためには、自分たちの会社から変化を起こし、業界の新しいスタンダードを作っていこうと思いました。
中土井:女性が少ない業界だということで、大変なこともあったのではないですか?
石坂:父の跡を継ぎたいと申し出た当時、父にも「女のおまえには難しいだろう」と言われました。女だというだけで、電話に出てもばかにされたり、まともに会話をしてもらえないようなこともありました。それがこの業界では普通のことでした。私たちの会社も例外ではありませんでした。
社長に就任し、社内のさまざまな改革に乗り出した時も、同じ業界の他社の社長の中には、私のことを見下しているような人もいて、「高見の見物をさせてもらうよ」と言われたこともあります。
中土井:社長になってからは具体的にどのようなことを始めたのですか?
石坂:「産廃屋」「ごみ屋」と言われない会社にすることを目標に掲げ、工場を新しく建設し、国際規格であるISOの取得にチャレンジしました。公式に認められたシステムであるISOを社内に構築することで、社会からの評価を得られる会社に変えたいと思いました。
工場を新しく建設するには、開発申請が受理されなければなりません。ダイオキシン問題で裁判に発展したことを考えると、そう簡単ではないことは分かっていましたが、それでも何とか許可を得て、今の新しい工場を建てることができました。
しかし、いくら新しい工場を建てて新しい機械を導入しても、その機械を動かすのは、やはり人です。100%その機械を生かしてくれる人材を育成する必要性を感じ、国際規格ISOの取得を目指しました。情報セキュリティ、品質管理、事業継続、労働安全衛生などについて、国際的な機関からの調査が入り、あらゆる項目についてチェックされ、認定を受けることになります。
私たちの当時の会社の状態を考えると、ISO取得はそう簡単なことではなく、取得を実現するためには、社員に相当な協力をお願いしなければなりませんでした。私はISOを1年間で取得すると父と約束し、取得に賛同できない人は会社を去ってくれとまで言いました。そこまで言ったのは、どうしても会社の雰囲気を変えたかったからです。実際に、多くの社員が会社を去り、会社の変革はここから始まりました。
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早稲田大学商学学術院教授
早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授
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株式会社プロシード 代表取締役
明治学院大学 経済学部准教授