日本において国際競争力の高い製造企業は、概して「多能工のチームワーク」に基づく統合型組織能力が高い。例えばトヨタ生産方式は約200の組織ルーティンにより顧客へ向かう「良い設計の良い流れ」を維持し向上させている。その基本形は、デジタル化時代においても変わることはない。この観点から、21世紀のものづくり経営学を論じる。
「日本から発信する経営分野の独自理論」をテーマに開催された「エグゼクティブ・リーダーズ・フォーラム(企画運営:早稲田大学IT戦略研究所)」に、早稲田大学教授・東京大学名誉教授の藤本隆宏氏が登壇。「デジタル化時代のものづくり経営学」をテーマに講演した。
教科書的な経済学は、「企業→産業→経済」というモデルを立てるが、多角化企業を中心とする現代経済の実態は、むしろ下の図のような「現場→産業・企業→経済」という3層構造に近い。企業と産業は並列で、企業が産業に参入すれば事業になる。そしてそれらの基底には「産業現場」がある。経済は産業の集まり、企業の集まり、地域の集まりであるが、それらを支えているのは産業現場、例えば工場、事業所、店舗、サービス拠点である。
藤本氏は、「現在、私の研究対象は産業の経営学・経済学です。例えば一国のGDP(付加価値総額)は、全産業の付加価値の総額とも言えますが、それは国内の全産業の事業所(産業現場)あるいは商品の付加価値の合計です。それが現在、約500兆円で長期停滞しているわけですが、その出発点は個々の現場あるいは製品の付加価値であり、多国籍化した企業の数値を積み上げても日本経済のGDPにはなりません。つまり、産業現場とは「付加価値が流れる場所」であり、現場が「流れ」としての国民経済・世界経済の基層です。私自身は、産業経営学者として、年間50回程度は国内外の現場を訪問しており、そこから上層の企業・産業・経済をいわば「下から見上げる」戦略論・組織論・経済学等の理論構築を試みています。産業の経営学・経済学は、いわば主流から外れた「村はずれの学問」ですが、村はずれなりの面白さがあります」と話す。
約45年前の学部学生時代の教訓は、経済も産業も一面において付加価値の「流れ(flow)」であるということ。学部の卒論は組織論的な農業水利の研究で、印旛沼と八ヶ岳の2箇所のかんがいシステムを比較した。特に興味深かったのは、八ヶ岳山麓の十数の集落間で、価格メカニズム無しで「水の流れ」の配分が約200年続き、その中で水配分の秩序が創発的に形成されてきたことだ。一般に、秩序の形成は、(1)流れが流れながら秩序を作る「定常状態」と、(2)流れを止めて秩序を作る「平衡・均衡」の2つがある。主流経済学は(2)の均衡論が中心だが、私はむしろ(1)「流れが作る流れの秩序」としての現場・企業・産業・経済に興味を持ったのである。その興味は今も続いている。
「“行く河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず”と方丈記にある通り、日本人は古来より、「流れ」が作る自己組織的な秩序の本質をよく見てきました。現代において、「流れ」を重視する日本発の知識体系の一つは「トヨタ生産方式(リーン生産方式)」であり、デジタル化全盛の今も世界で通用しています。私はこれらを出発点に、いわゆる「ものづくり」の本質を「良い設計の良い流れ」と総括し、良い流れを作る現場の組織能力(Capability)と、現物の設計構想(Architecture)の適合が現場や製品の競争力(Performance)を生み出すという「CAP(ケイパビリティ、アーキテクチャ、パフォーマンス)」アプローチ(図)で、自動車などの産業の進化を分析してきました」(藤本氏)
グローバル化時代の産業分析も、図の「CAPの三角形」で表すことができる。CAPアプローチでは、現場の組織能力(Capability)と現物の設計思想(Architecture)の動態的な適合が、産業の競争力(Performance)を高めることにつながる。藤本氏は、「CAPアプローチは、最初から全てが分かっていたわけではなく、これ自体、産業競争の変化とともに徐々に確立したものです」と話す。
藤本氏は、大学卒業後、1980年代前半の三菱総研での国内外産業調査を経て、1980年代後半にハーバード大学博士課程で自動車産業の製品開発力の実証研究を行い、博士論文をもとにクラーク・藤本『製品開発力』(ダイヤモンド)を英・独・伊・日本語で出版。次いで1990年代前半に東京大学経済学部に着任して、まずマルチ・ステークホルダー的なバランス型リーン生産方式の研究を行い、1990年代後半にものづくり組織能力の進化論的研究の成果をまとめ、著書『生産システムの進化論(有斐閣)』他を発刊した。
次いで、2000年代には、製品アーキテクチャと組織能力の相互作用をまとめた著書『日本のもの造り哲学(日経BPマーケティング)』により、CAP産業分析の端緒・アーキテクチャ戦略論を提案。2010年代には製品アーキテクチャの進化も視野に入れ、2020年代に至るまで、産業進化分析のCAPアプローチや「設計の比較優位説」を提唱している。
CAPアプローチにおけるPerformance(競争力)とは要するに「選ばれる力」である。藤本氏は、「誰が誰に選ばれるかにより、会社の稼ぐ力(収益力)、その会社の製品を売る力(表の競争力)、製品を作っている工場の流れのよさ(裏の競争力)、という階層構造があり、そしてその基底に、流れを作る仕組みとしての「ものづくり組織能力」があります(図)。私は、まず流れの良さ、つまり生産性やリードタイムなどの裏の競争力(P=Performance)を測定し、それがどんな組織能力(C=Capability)から生まれるのかを研究してきました」と話す。
例えば、日本の自動車組立工場の物的生産性は世界的に最高水準を保ち、開発生産性も日本は欧米の2倍前後で推移してきた。藤本氏は、「現場の物的生産性は、数理的に見ればまだまだ向上できます。生産性やリードタイムは付加価値の「流れの良さ」なので、流体力学の式に形が近くなり、要するに付加価値(設計情報)の流れの「速度×密度」です。つまり、速度(例えば生産技術)が一定で密度(付加価値作業時間比率)が2倍になれば、物的生産性も2倍になる。そしてこの密度はまだまだ低く、伸びしろがあるのです」と話す。
現在のような賃上げの時代に、製品値上げに限界があれば、利益を維持しつつ賃上げを吸収できるのは生産性の向上しかない。「生産性を10%向上させれば賃金を10%上げても利益や競争力を維持できる」という、50年前に日経連(現経団連)が示した産業経営の常識に戻ることが必要。実際、ある工業会の生産性向上活動により、中小企業の改善現場の設計情報転写(発信)密度、つまり付加価値作業時間比率を約7.5%から約15%にアップさせたら、先ほどの数式の予想通り、物的生産性は約2倍になった。このように、賃上げ・材料費上昇の時代には、地域経済、業界、企業全体での生産性の底上げ運動が必須である。
次にアーキテクチャ(Architecture:設計思想)を考える。こうした競争力・生産性向上のためには、よく練られたアーキテクチャ戦略による利益と成長の確保も重要になる。既成の産業分類という固定観念にとらわれずに、現物の観察から日本の産業競争力を見極めることが必要。例えばモジュラー型(組み合わせ型・設計調整節約型)アーキテクチャはシリコンバレー型のデジタル製品に多く、この分野は概して米中などが強い。対して、高機能自動車などインテグラル型(擦り合わせ型・設計調整集約型)アーキテクチャの分野は日本勢が強い(輸出比率が高い)という相関関係が、統計分析でも明らかになっている。
藤本氏は、「約10年前に経産省と東大で『ものづくり白書』で実施した調査では、日本の製造業は、擦り合わせ型・インテグラル型・調整集約型アーキテクチャの製品で輸出比率が高い傾向がある、という統計的に有意な結果が出ました。さらに、近年のデジタル化時代のアーキテクチャ分析では、「上空・低空・地上」の3層構造モデルを提案しています。「地上」のフィジカル層はクローズド・アーキテクチャ寄りで、ここでは一部日本勢もまだ強いが、「上空」のサイバー層はオープンモジュラー・アーキテクチャの世界で、ここでは日本勢はアーキテクチャ論の予想通り弱かった。次の戦いの主戦場の一つは「低空」のサイバーフィジカル層で、ここでは「地上」から出陣する日本勢にもチャンスはあります」と話す。
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早稲田大学商学学術院教授
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明治学院大学 経済学部准教授