最近、何かと話題にのぼる「真贋問題」。表層をはぎ取って見えてくるその本質的な問題とは。
アマゾンから電子書籍リーダー「Amazon Kindle」と電子書籍配信ビジネスが発表され、同じ流れが書籍の世界でも本格化することがより明確になった。
テクノロジーによって、メディアをより現実に近い品質で再現することは、デジタルコンテンツが進化する方向性の重要な側面であることには間違いない。しかし、ビジネスの観点からはそれだけでは必ずしも十分とはいえない。そこでは「利便性」という要素も極めて重要である。特に最近のデジタル化あるいはネットワーク化のトレンドの中では、むしろこの利便性の方がより重要な価値として認められているといえる。
再生の品質に対するニーズは本質的に限りないものだとは思うが、一方で生活者がそれを追い求める勢いは緩やかになってきているように感じられる。映像でいえば「ハイビジョン−DVD−インターネット動画」、音楽では「SACD−CD−MP3」に対して、生活者がどの様に向き合っていくのか、そのベクトルは従来のように一様ではないようだ。
コンテンツビジネスでは、主に流通形態をトリガーに大きな変化が起こるものだが、その過渡期において決まって湧き上がる議論がある。それはそのコンテンツの本質論の形を借りつつも、実際には新しい流通や媒体の「真贋」を問うという性格のものだ。
例えば音楽の場合では、「LPとCDではどちらの音が良いか」といった議論から始まり、しまいには「デジタルでは音楽の本質は伝わらない」といった極論が出てくる。映像についてもまったく同じ議論はあるし、最近では先のAmazon Kindleに関する議論や、「ケータイ小説は文学といえるのか」も同類かもしれない。
筆者としてはあまりこうした真贋論に興味はない。これらはビジネスの側面を考慮していないだけでなく、新しい媒体や流通からそのコンテンツの本質にもたらされる新たな価値に対しても、どちらかと言えば否定的であり、結局は非常に保守的なものに過ぎないと思うからだ。
人間にとっては情報を受容することだけではなく、表現することがより重要であり、そのための基礎的な能力として、品質に対する感性を養うことは極めて重要だ。
最近の利便性中心のメディア文化に不足している側面として、音や画の品質もさることながら、表現のスケール感、そういうものの可能性に対する感性ということがあるのではないかと感じている。
具体的には、大きな画面で、大きな音で、あるいはたくさんの文字で何かを表現する、あるいは表現されたものを体験する、という機会が減ってきており、そのことが人間の基本的な表現力や創造力の育成を制限している側面があるように思える。
先の真贋論の本質も実はそのあたりにあるのではないだろうか。
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明治学院大学 経済学部准教授