連載
» 2014年10月06日 08時00分 公開

視点:ビジネスエントロピーの脅威 (3/3)

[菊地泰敏(ローランド・ベルガー),ITmedia]
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2、ビジネスエントロピーと事業ライフサイクル

 ビジネスエントロピーの拡大は「不可逆的な現象」である。すなわち、時系列的に見たとき、エントロピーは拡大する方向であり、放っておいてもエントロピーが小さくなるようなことはない。例えば、一つのプロダクトが生まれ、それがヒットすると(それなりの規模の市場を形成すると)、類似プロダクトや派生プロダクトが雨後の竹の子のごとく出てくることは、皆さんもよく目に

するところであろう。

 それでは、その拡大のタイミングはどのようになっているのであろうか。

 これは、事業(産業、プロダクト) のライフサイクルと大いに関係がある。冒頭ご紹介したとおり、「イノベーションの普及学」でライフサイクルという概念がモデル化されている。お聞きになったことがある方も多いと思うが、図Cを参照して欲しい。

エントロピーとライフサイクル

 イノベーターからアーリーアダプターまでは、エントロピーの小さい状態でビジネスが行われている。すなわち、単一仕様のプロダクトが垂直統合的に提供され、それを用いるユーザー(購買層)も限定的である。めでたくキャズムを超えたプロダクトは、アーリーマジョリティへと普及し、それなりの規模感の市場を形成する。このため、多くの類似プロダクト・派生プロダクトが、さまざまな顧客セグメント別に開発・販売され市場が賑わう。レイトマジョリティへと展開する頃には、コスト競争力を高めるために、必ずしも社内で行う必要のない機能・業務をアウトソースするなど、バリューチェーンエントロピーの拡大が進む。

 市場を観察すると、エントロピー拡大には法則性があることに気付く。

 まず、キャズムを超えないプロダクトはエントロピーが小さいまま、市場から淘汰される。

 キャズムを超えたプロダクトについては、プロダクトエントロピーの拡大が起こる。一見、顧客セグメントごとにプロダクトが開発されるイメージがあるが、実際には様々なプロダクトが売り出され、そのプロダクトごとに顧客セグメントが形成される、というのが実情である。すなわち、プロダクトエントロピーの拡大により顧客セグメントエントロピーが拡大するのである。価格についてはプロダクトの影響を受ける。チャネルは顧客セグメントとプライスの影響を受けて決まる。最後に、プロモーションは顧客セグメントとチャネルの影響を受けて、エントロピーの拡大が進行する。(図D参照)この一連のマーケティングエントロピーの拡大は、レイトマジョリティへの普及タイミングまで続く。

 この後は、上述のようにバリューチェーンエントロピーの拡大に移る、というのがビジネスエントロピーとライフサイクルの関係性である。

3、エントロピーの拡大に応じた戦略

 巷間でよく言われることであるが、ビジネスの世界においては既存のルールに従って競争をする、あるいは競争優位性を確保することは必ずしも得策ではない。ルールそのものを作る、あるいはそのルールを破って新たな競争を仕掛けることが求められる。

 ビジネスエントロピーの拡大という概念を用いると、事業・プロダクトのライフサイクルのどのステージでどのような策を打てばよいか、大いに参考になる。

 次に来るエントロピーの拡大を、どのタイミングで仕掛けるか。不可逆的な現象であるからタイミングを制したものが勝つ。

 もう少し解説しよう。

 まず、プロダクトエントロピーの拡大について、自ら仕掛けるのか、あるいは競合の動きを見た後、プロダクトエントロピーの拡大が顧客セグメントエントロピーの拡大に展開してから、特定の顧客セグメントに特化したプロダクトを売り出すか、という選択肢がある。

 図Dに示したとおり、その他の要素については顧客セグメントとプロダクトが決まると、概ねこれに従うこととなり、戦略的な自由度は大きくない。

 次の見計らうべきタイミングは、バリューチェーンエントロピーの拡大である。市場成長の加速度が緩くなるとともに、バリューチェーンエントロピーが拡大することは既に述べたとおりであるが、だとするとバリューチェーン上のどの要素を自社でまかない、どの要素をアウトソースやアライアンスに頼るか、という見極めが非常に大切であることがわかる。これを、リアクティブに行っ

てはいけない。収益性の高いところを他社に持っていかれてしまい、自社は単なる機能要素の提供者というポジションに追いやられてしまう。バリューチェーンエントロピーの拡大が、不可逆的な事象として訪れることを見越し、自らアクティブにバリューチェーンエントロピーの拡大をリードすることを目指すべきである。

 日本を代表するような電機機器メーカーの苦しい状況を見るにつけ、日本企業は概ね、このバリューチェーンエントロピーの拡大をアクティブに行うことが不得意(あるいはその気がない?) なのだと感じざるを得ない。

 また、エントロピー拡大の不可逆性を考えると、成長期に、エントロピーを小さくするような施策はうまくいかないことも納得できよう。

 例えば、ソフトバンクも、イー・モバイルも、移動体通信市場に参入した際、価格体系をシンプルにと言っていたが、残念ながら価格エントロピーは拡大し、両社のタリフプランもドコモやauと変わりない複雑なものになっている。

 また、さらに歴史を遡ると、ボーダフォンが日本で展開しようとした世界統一端末戦略は、日本のユーザーには完全にソッポを向かれ、結果として日本市場から撤退して行った(ソフトバンクに買収された)。

 さて、それではこのビジネスエントロピーは拡大の方向しかないのであろうか。

 もちろんそんなことはない。ある条件下においてはエントロピーは縮小する。その条件とは、エネルギーをかけることである(冒頭の「やかんの例」で言えば、火にかけること、である)。

 時としてエネルギーをかけてエントロピーの縮小、すなわち、プロダクトの販売中止やチャネルの縮小を行わなければならないのである。

 これまで述べてきたとおり、エントロピーの拡大は不可逆的な現象であるため、あるプロダクトの販売を中止する・あるチャネルを整理する・複数あった購買先を一社に絞る・アウトソースしていた機能を内製化する、といったエントロピーの縮小には多大なエネルギーを必要とする。皆さんの会社にも赤字プロダクトなのになかなか提供をやめられない、というものが一つや二つはあるであろう。

 「赤字であっても、それを求める顧客がいる」、「あの取引先とは10年来の付き合いである」、そういった数多くの理由(言い訳?) によって問題は先送りされ、エントロピー縮小のエネルギーはかけられず、じわりと、しかし確実に業績を悪化させる原因となるのである。

 とはいえ、エントロピーの拡大は産業全体で起こるものである。決して、ある特定の一社のみに襲い掛かる現象ではない。そして競合他社もエントロピー縮小のためにエネルギーを費やすことに躊躇しているのであれば、これこそが好機であるとも言えよう。

 他社が手をこまねいている間に、やめるべきプロダクトをやめ、閉じるべきチャネルを閉じる。これこそが競争優位性の源泉になるのである。

 平日は業務に没頭しているからこそ、週末やたまの休みには自然の中に身をおき、ゆっくりと植物や動物を観察したり、風や水や光を感じてみることをお勧めしたい。そして、先人によって体系化された自然現象を解きほぐす様々な自然科学の理論に思いを馳せてみてはいかがだろうか。なにか経営上の課題解決の糸口が見つかるのではないかと思う。

 もし万が一なにも得られなかったとしても、ゆっくりと自然に身をおくことが次の仕事への活力になる。日々の仕事で溜め込んでしまった「ストレスのエントロピーが、ふわっと拡散していく」ことを体感できると思うのである。

(注1)エベレット・ロジャーズ(1964) 『イノベーションの普及学』翔泳社

(注2)ジェフリー・A ・ムーア(1991) 『キャズム』翔泳社

(注3)リチャード・ドーキンズ(1976) 『利己的な遺伝子』紀伊国屋書店

著者プロフィール

菊地泰敏(Yasutoshi Kikuchi)

ローランド・ベルガー パートナー

通信事業者で新サービス開発のエンジニアとして尽力した後、米国系戦略コンサルティングファームを経て、ローランド・ベルガーに参画。

情報通信、電機、医薬品産業を中心に、科学・技術を基盤とする産業に対し、“エンジニアの魂を持って”コンサルティングサービスを提供している。

大阪大学基礎工学部情報工学科卒。同大学院修士課程修了。東京工業大学技術経営修士(Management of Technology)。

グロービス経営大学院大学教授(マーケティング・経営戦略基礎およびオペレーション戦略を担当)。


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