量子コンピューティングがもたらす未来〜ユースケースの実現ステップと業界インパクト〜視点

自動車、金融、化学業界がアーリーアダプターとなって量子コンピューティング市場をけん引、ユースケースの開発に取り組んでいる。しかし、他業界の経営層はこの新技術をどう捉えているのか。戦略的な意味付けが与えられているのか。

» 2021年07月26日 07時02分 公開
[田村誠一ITmedia]
Roland Berger

加熱する量子コンピューティング投資

 「量子技術イノベーション戦略 最終報告」(2020年1月公表)に基づき、2021年2月、量子技術の基礎研究から技術実証、知財管理、人材育成に至る産学官連携を加速すべく、大学や研究機関に8つの中核拠点を整備する「量子技術イノベーション拠点」事業が発足した。6月、ドイツ大手企業10社は、自動車、化学・製薬分野などでの量子コンピューティングの活用可能性を探るべく、「量子技術活用コンソーシアム(QUTAC, Quantum Technology and Application Consortium)」を設立。フォルクスワーゲン、BMW、BASF、ベーリンガーインゲルハイム、メルクなどが名を連ねる。

 近年、量子ビット数も急増。Googleは53量子ビットで「量子超越」を実証したと発表、IBMは、2023年末までに1000量子ビットを目指す。量子コンピューティング投資は過熱の一途。研究開発にかかわる政府支出はグローバル合計で年間220億米ドル。様子見を続けてきたベンチャーキャピタルも、ここに来て投資を急増させている。(図A1参照)

A1:量子コンピューティングにかかわる政府支出、A2:「量子変革(QX)の破壊度(業界別)

可能性と現実のはざまで苦悩する経営者

 自動車、金融、化学業界がアーリーアダプター(初期採用層)となって量子コンピューティング市場をけん引、ユースケースの開発に取り組んでいる。しかし、他業界の経営層はこの新技術をどう捉えているのか。戦略的な意味付けが与えられているのか。この疑問に答えるべく、ローランド・ベルガーは欧州各業界110人の経営層を対象に調査を実施した。その結果は興味深いものだった。

 「量子コンピューティングは10年内に業界環境を劇変させる」との見立てを表明した経営者が63%にも達した一方で、「自社戦略への適用検討が進んでいる」と回答した経営層はわずか8%。57%が「現状無策」との回答だった。

ユースケースは組合せ最適化問題から

 量子コンピューティングの想定ユースケースは4つ。組合せ最適化問題、シミュレーション、機械学習、量子暗号の順に適用が進むだろう。

1、合せ最適化問題

 10個の小包を10か所の届け先に巡回配送したい。どの順番にどの小包をどの先に配送するか。組合せオプションは実に362万8800通り。届け先が1つ増えれば、組合せはこの11倍、3991万6800通り。2進数で演算処理する古典コンピュータでは、変数の多い最適化問題に太刀打ちできないが、量子コンピュータなら全オプションの同時並行処理が可能だ。

2、シミュレーション

 複雑な分子構造のモデリングも典型的ユースケースだ。古典コンピュータは量子力学プロセスを再現するに非力であり、研究者は膨大な時間と費用をかけて合成化学で分子構造のコピーを作らなければならない。量子コンピューティングはここに革命をもたらす。例えば、ペニシリンのモデリング。286論理量子ビット機が実現すれば研究は劇的に加速できる。

3、機械学習

 コンピューティングパワーの増大を背景に、AIや機械学習は進化を続けている。しかし、ムーアの法則にも物理的限界が近づきつつある。量子コンピュータはこの限界に縛られない。全く新しいアルゴリズムによるニューラルネットワークの学習が可能だ。問題は、古典コンピュータ向けデータセットの移行。量子コンピュータ向けデータ変換と再計算が全てのケースで有効とは限らない。

4、量子暗号

 数学者 Peter Shorが提唱した素因数分解アルゴリズム。古典コンピュータで数十年を要する素因数分解を、量子コンピュータで数時間内に解く道を開いた。これは、素因数分解に基づく暗号化(RSAなど)が破られる可能性を示唆する。暗号鍵を分割して「光子」に乗せる「量子鍵配送」は、量子の観測不可能性に基づく「破られない暗号」の可能性を秘めている。

製造業がけん引する「量子変革(QX)」

 「量子変革(Quantum Transformation, QX)」 の破壊度は業界によって異なる。破壊度を測る鍵は事業モデルの「データ集約度(Data Intensity)」、すなわち、データの「量」「多様性」「即時性」だ。「データ集約度」の高い業界ほど量子コンピューティングの影響は大きい 。(図A2参照)

 製造業、中でも自動車、製薬、化学の 3業界がQXで先行するだろう。自動車業界の課題の一つ、電気自動車のバッテリー効率。量子コンピューティングによるバッテリー内部の化学反応シミュレーションは、バッテリー開発に新たな地平をもたらすだろう。分子構造の量子シミュレーションは新薬開発や新素材開発に革命をもたらす。量子機械学習で言えば、自動運転ソフトウェアの効率学習や皮膚がんの自動判別学習などでブレイクスルーが期待できよう。

 運輸業なら、渋滞解消やルート最適化、サプライチェーン効率化問題。100量子ビット機が登場すれば、業界景色は激変する。あるいは、スーパーコンピュータの能力をはるかに超える複雑な最適化問題にあふれる金融業界。株式ポートフォリオしかり、信用評価モデルしかり。金融分野では量子コンピュータの実用時期が5〜10年以内に到来するともいわれる。量子エラー訂正の手法開発も進むだろう。近い将来後悔しないよう、「今」、量子コンピューティングに真剣に向き合いたい。

著者プロフィール

田村誠一(Seiichi Tamura)

ローランド・ベルガー シニアパートナー

外資系コンサルティング会社において、各種戦略立案、及び、業界の枠を超えた新事業領域の創出と立上げを数多く手掛けた後、企業再生支援機構に転じ、自らの投融資先企業3社のハンズオン再生に取り組む。更に、JVCケンウッドの代表取締役副社長として、中期ビジョンの立案と遂行を主導、事業買収・売却を統括、日本電産の専務執行役員として、海外被買収事業のPMIと成長加速に取り組んだ後、ローランド・ベルガーに参画。


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